札幌でアシュタンガヨガ 本を読む

2020/08/27 ブログ
洞爺湖にて

札幌でアシュタンガヨガのクラスをしているスタジオミガクの小林です。

 

普段は涼しいスタジオ内も今日は暑いです。窓からも風は来ず、同じヨガをしても疲労の残り方が違うかもしれません。体調管理は万全に!

 

 

さて、最近では珍しく連日の投稿です。

 

僕は1人で仕事をしているので、上司も同僚も部下もいません。たまにどこかのヨガの会場で会えば立ち話をするくらいのヨガ仲間はいます。が、友だちというほどの付き合いではないでしょう。何を隠そう僕には友だちがいません(偉そうに言うことじゃない)。学生のときはいたんですけどね。北海道に移住してからはいないに等しいです(ゼロではないですけど)。

 

そんな人間関係だと、人との付き合いから何かを学んだり、教わったりすることが(会社勤めの人ほど)多くありません。そのことはよろしくないなぁ、と常々思っています。でもないものはしょうがないので、本を読むことで補おうとしています。補おうとして読んでいるわけでもないですが、少しは補われたらいいなぁという期待はあります。

 

 

広いジャンルで読書をするわけではないですし、多読でも速読でもありません。読まない時期は全然読まないし。小説は好きですがあまり読みません。

 

よく読むのは、ヨガの勉強としての本、それ以外の勉強の本、特定の作者の本です。

 

なぜこの内容のブログを書こうと思ったかと言うと、昨夜ベッドの上である人の本を読んでいたとき、ふと気づいたことがあるんです。

 

ヨガの勉強としての本(正直に言うと義務感で読んでいるだけで、つまんねぇなぁと思いながら読んでいることが多い)を読んでいるときの自分と、それ以外の勉強の本(こっちの方が興味を持って読んでいる)を読んでいるときの自分、そしてある人の話したこと・書いたことを集めた本を読んでいるときの自分を考えると、

 

ヨガ本 < ヨガ以外の本 < ある人の本

 

の関係だな、と。

意味が分かりませんよね。ヨガ本を読む時期があり、ヨガ以外の本を読む時期があり、ある作者の本を読む時期があるんです。ある時期にこれら3つのジャンルを並行して読むことをしない、ということです。特に理由はありません。

 

ヨガの本(哲学関係)を読んでいるときに自分が考えていることや、行い、振る舞い、ヨガクラスが、あまり良くない。好きではない。

 

ヨガ以外の本を読んでいるときの方が、まだマシ。

 

ある作者の本を読んでいるときに考えていること、どうあろうとしているか、こうありたい、という姿勢など、どれをとっても一番いい。

 

外から見ていても変化はないかもしれませんが、僕自身はある作者の本を読んでいるときの自分が一番いいようだ、と気づいたんです。しかも、学べることも考えさせられることも気づけることも、一番多い。

ただ好きなんでしょうね。

 

ヨガ本を読んでいる時期の自分の言動は、そのときは気づかないんですけど、ある人の本を読むと気づくんです。あー、ヤバいな自分、と。

 

 

そういうことないですか?本じゃなくてもいいんです。人ではどうですか?この人といるときの自分はいいな、と思わせてくれる人。こうありたいと前向きにさせてくれる人。考え方を優しくさせてくれる人。

そんな人が友人や上司・同僚・部下や家族にいるといいですね。

 

僕はこの作者のまだ読んでいない本があることに幸せを感じます(考えながら読むので時間がかかる)。

 

誰やねん、って気になりますか?

言いませんけど。

同じ本を読まれたら、「こいつ影響されてんなぁ」とバレるかもしれないから。笑

 

 

次回は、本や何かから得る知識について最近思ったことを書こうと思います。

こういう風に予言したときに限って、だいたい書かないことが多いのを知っている人はコバヤシ通です。

 

 

それではまた。

良き休息を。