ゲートコントロール理論
今朝、今シーズン初めて例の「おはようおじさん」とすれ違いました。今日は僕の前を歩く女性に大声で「センキュー!」と声かけをしていました(もちろんスルーされています)。僕にも「センキュー」だったので、どう返していいのか分からず、いつも通り「おはようございます」と返したら、再び「おはよー!」と返してくれました。
「サンキュー」じゃなく、「センキュー」です。はっきりそう言っています。
いきなりですが、ゲートコントロール理論って聞いたことありますか?もしかしたら、以前ブログで書いたことあるかもしれません。忘れましたけど。
どこかに痛みがあるときに、その周辺を摩ったりすると痛みが和らぐ現象を、神経学的に説明する理論です。
例えを使ってザックリと説明します。
片側2〜3車線の大きな道路に、斜めに合流する小さな道路があります。大きな道路に車が走っていなかったら、脇道からの車はスムーズに大きな道路に合流して目的地に向かえますよね。だけど、大きな道路に車がビュンビュン走っていたら、脇道からの合流は難しいし、目的地にも向かえません。厳密に言えば少し違いますが、だいたいそんな感じだと思います。
脇道からの車が痛みで、幹線道路をビュンビュン走る車が、摩る刺激です。
痛みを伝える神経は細く、触られた刺激(摩る、など)を伝える神経は太いです。細い神経と太い神経は、それぞれの刺激を脳に伝えるために、脊髄で別の神経に合流します。
摩っていないときは、痛みの刺激は脊髄で中継する神経に乗って脳へと向かいます。だから、痛みを感じる。
だけど、痛みを感じた場所を摩ると、その摩られた刺激が大きな道路を通って(道路が大きいのでスピードが速い)、脊髄の中継する神経に伝わってしまうために、そこで痛みの刺激はブロックされてしまうのです。すると、痛みを伝える刺激が脳に伝わらなくなるので、痛みが和らぐ。
なぜ急にこんな理論を持ち出したかというと、この理論に似たことをやりがちだなぁと思うことがあるからです。
アーサナに願望を乗せない方がいいと思う、と過去のブログで何度か書いたことがあるような気がします。願望とは、もっと柔らかくなって足を掴めるようになりたい、とか。理想のポーズへと近づきたい、とか。
別の言い方をすると、「足を掴めている自分」や「理想のポーズがとれた自分」という結果を求めながらアーサナをやっているということです。
願望は太い幹線道路をビュンビュン走っていきます。それに対して、現状がどうであるかを感じる能力は、細い脇道です。
どうなりたいか(望む結果)を求めて、自分の体を無理やり従わせるようなアーサナのやり方をしているときは、現状がどうであるかを感じる力は、簡単にブロックされてしまいます。なので、身体を痛める危険性がぐんと高まる。
良い悪いの話ではなくて、アーサナに取り組んでいるときの願望が強すぎるとケガをするリスクが高まるので気をつけましょう、というお話でした。