KTSK
毎年この時期になると、
常に頭の片隅にあり、
僕の関心を引き続けるあいつ。
くそう、悔しいけど認めるよ。
僕は君のことが忘れられないんだ。
忘れたくても忘れられないんだよー!
KTSK
そう、確定申告。
めんどくさー
以前、少しだけアイアンガーヨガを学んでいたときに分かったことがあります。それは、どうやらタダーサナとウルドヴァ・ハスターサナがすべてのアーサナの基本になるぞ、ということ(どんなアーサナか分からない人はググってください)。この2つのアーサナが自分の中にないのは、基準となるものがないということ。
アシュタンガヨガにおいて、この基準となるものは何か。それは、正しいヴィンヤサだと僕は思います。いつも書いていますが、余分な呼吸を挟まず、余計な動作を入れない。正しいヴィンヤサで動こうとする気持ちがないと、基準が存在しないようなものなので、そこに余分な呼吸や動作が入っても気にならない。気にならないと、そこに余分なものを無意識に入れた理由が存在するのに、そのことにも当然気づけない。
もちろん、正しいヴィンヤサでできるようになるためには、相当の練習が必要です。だけど、まだできなかったとしても、正しいヴィンヤサで練習しようとする意識があれば、自分が余分な呼吸や動作を挟んでいることに気付けます。そして、何故そこに1呼吸余計に入れたのか、その理由を探ることができます。ただ単に呼吸が上がっちゃって、呼吸を整える必要があったのか。次のアーサナが自分にとって困難なもので、ジャンプする前に気合いを入れたかったのか。じゃあなぜ気合いが必要だと感じたのか。
アシュタンガヨガのベースにあるのは、八支則です。八支則を無視した、ただのアーサナの連続を楽しむだけのヨガなら、正しいヴィンヤサなんて要らないでしょう。順番を覚える必要もありません。言われたことを言われたままにやっているだけでいいと思います。とても良い運動になりますからね。だけどもし、アシュタンガヨガの本当の奥深さを垣間見たいと思うのなら、正しいヴィンヤサ抜きには難しいと思います。
難しいアーサナの克服もいいけど、正しいヴィンヤサの追求こそアシュタンガヨガの真髄への道なんじゃないかな、とそんな風に考えています。
おおーっ、素晴らしく堅苦しい内容だ。