快か不快か

2021/09/13 ブログ
また空の写真かよ

今日も目的地に向かう途中で雨に降られました。一瞬雨足が強まったので、今日は雨宿りしようと思いましたが、一時的なものでした。

目的地に着く頃には濡れた服も乾いていました。自然乾燥。

 

 

 

さて、いきなり質問です。

強ければ強いほど、柔らかければ柔らかいほど、日常生活は快適になるでしょうか?

 

僕は必ずしもそうはならないと思います。アーサナの練習をうまくできれば、そしてそれを続けられれば、体は強く柔らかくなるでしょう(個人差はあるでしょうが)。難しいアーサナだってできるようになるかもしれない。だけど、それは日常を快適な体で過ごせることに繋がらなかったりもする。あそこが痛い、ここが調子悪いってね。

 

なぜこういうことが起こるのだろう。

 

それは、1つには向上させたい気持ちがあるからなんじゃないかな。このアーサナをできるようになりたい。そのためには、今以上の強さが必要。今より柔らかくならなければ。または、単に柔らかくなりたい。

 

こういう気持ちは悪くないと思う。ヨガをする目的は人によって違うのだから、変化していく体を楽しみにしてもいいと思う。でももし、向上させたいわけではなくて、今よりちょっとだけ日常生活で快適な体を手に入れられればいい、というのであれば、アーサナのやり方を変えた方がいい。「もっと」という気持ちは一旦脇に置いといて、「どうすれば心地よいか」「どこまでやったら快適でいられるだろうか」ということを探るのが、きっと目的に叶うやり方でしょう。呼吸も含めて、です。ただひたすら深い呼吸を目指すのではなく、その都度、自分が一番落ち着ける呼吸や、心地よい呼吸はどんなものなのかを探す。そういう練習はきっと、自分の「心地よい」を感じる感度を上げてくれると思う。日常でも、何が心地良いのか、どこまでなら快適でいられるのか、がんばり過ぎていないか、そういうことが分かってくると思います。

 

 

一方で。

僕が先日、60kmくらいの距離をチャリで移動したことをブログで書きました。あれって、今の僕にはしんどいんです。きついです(チャリのしんどさは好きなのでいいんですけどね)。だけど、こういうしんどいことをやっておくと、今までは「チャリで行くには遠いな」と感じていた距離(例えば片道10kmくらいの距離)が、普通にチャリで行ける距離へと変化するんです。

別の言い方をすれば、「日常の快適の範囲が広がった」です。

 

同じように、今の自分には少ししんどいと感じる程度にアーサナを練習する習慣を身につけると、一時的な身体的痛み(良い痛みと悪い痛みがあるので見極めが大事)で日常を害することはあるけど(快適さに欠ける)、その結果として、今まで以上の体力や強さ、柔らかさを身につけることができ、日常の快適の範囲が広がったりします。がんばったご褒美みたいなものですね。

 

 

いずれのやり方にせよ、QOLは向上します。自分はなぜヨガをしているのか、それを考えてみるといいかもしれません。取り組み方が間違えていたら、明日から修正すればいいだけです。

 

Enjoy yoga!