まわりくどい

2021/09/17 ブログ
また空

アシュタンガヨガの世界で言われる「アーサナはこうするのが正しい」のほとんどは、正解でもあり、間違いでもあると思う。というのも、それらのほとんどはそれを言っている本人にとっての正解であることが多いから。肉体面においての絶対的な正解なんてどこにも存在しない。グルジやシャラート先生ですらも持っていないんじゃないかな。

 

誰もが口を揃えて言うことは、おそらく普遍的で大事なことなのでしょう。それ以外のことは、どうでもいいわけではないけれど、だいたいでいいんですよ、きっと。だから、あまり正解探しに時間をかけてもしょうがないと思うなぁ。すごくアーサナのできる先生や、有名な先生などに聞きに回ったところで、得られるのはせいぜいちょっとしたコツくらいのもんでしょ。コツでアーサナができるようになって、それがその人のヨガをする幸せに繋がるならそれでいいのでしょう。だけど、心の平安には至らないですよね〜。

 

 

以前も紹介しましたが、エディ・スターン先生が著書の中で紹介していたことを再びここで。

 

「どうやったら、アーサナの姿勢が正しいと分かるのでしょう?」

 

と質問した生徒にグルジが答えたのは、

 

「心が静かになったとき、そのアーサナは正しい」

 

 

アーサナの練習なんだけど、その中に(外でも)ヤマ・ニヤマの要素の実践がなければ、(アーサナレベルでの)心が鎮まることはないように思います。どれだけ柔らかいか、どれだけ強いか、どこまでアーサナが進んでいるか、どれだけ深くアーサナができるか、どれだけ美しいアーサナができるか。どれだけアライメントが正しいか。そういう深さは、ほとんどヨガの目指すところには関係ないと思うな。

 

 

こんなことを書いていますけど、分かってますよ。ほとんどの人は、「そんなこと目指してないし」と思っていることを。良い運動になって、ストレス解消になって、できないことができるようになる喜びがほぼすべてですよね。それでいいと思います。

 

だけどいつか、ストレス解消のために始めたものが、むしろストレスになっているぞ、となるときがあったら。壁にぶち当たって(必ず誰にでも訪れる)、できるようになる喜びが得られにくくなるときがあったら。そのとき考えるきっかけになればなぁと思っています。

 

 

 

先日のブログで、「基礎クラスではアライメントのことを伝える」とか何とか書いたけど、よくよく考えてみると、やっぱり今の僕はアライメントなんてだいたいでいいよ、としか考えていないことに気づき、やっぱり「習うより慣れろ」方式で必要最低限のことを学んだら、どんどん実践していきましょー、というのを伝え直すために、「正しさを追い求めるのはほどほどに」というまわりくどい話で書くことにした今日のブログでした。

 

はいっ、長い一文で締めっ!