陰陽

2022/07/07 ブログ
ビーサン日和

一泊で実家に帰ってきています。一泊なのでスタジオに行くのと何ら変わりない格好です。スカスカのリュックと、普段通りすぎるビーサン。

 

 

 

親しい関係にある人(家族や親友や夫婦や恋人や)が欠点一つない理想的な人物であることなんて、極めて稀だと思います。どんなに親しい、心許せる人であっても、「ここの所はちょっとなぁ」という所の1つや2つはあるでしょう。その人とほんとうに良い関係を結べていたら、多分その人の欠点も受け入れられていると思うんです。

 

その欠点を改めさせようとするでしょうか。もちろんそれが自分にとって耐え難いことであれば、そのことは伝えるでしょう。耐え難いことを改めようと努めてもらえないなら、その人との良い関係は望めないと思う。

 

逆に自分の親友やパートナーに、自分の欠点や短所を受け止めてもらえないとしたら、より親しくなれますか。心を許せるでしょうか。

 

長所と短所って、全てではないにせよ、表と裏みたいなところがあると思うんです。例えば、約束の時間に遅れない人は、他人が遅れてくるのを許せなかったり。逆に他人の遅刻に全然腹を立てないかわりに、自分の遅刻にもおおらかであったり。自分に厳しく他人には甘く、そういられる人もいるでしょう。でもそれは自分を律していますよね。元々もってる性分の裏側を出さないように。

 

長所を表として、その裏返しの短所を裏としたら、裏側を改善させて、「表と表」になることなんてあるのかな。もしなったとしたら、その反動がどこかに現れるんじゃないか、と考えたことがあります。

 

 

陰陽

 

いつも思うのは陰陽のマーク。すべてのものや現象はこのマークのようであるのかなぁと思います(知らんけど)。表があれば裏がある。それでいいじゃないか。

 

 

何が言いたいかと言うと、ここからです。ずーっと思っていることがあるんです。まぁ何度もここで書いているんですけど。

 

アシュタンガヨガって完璧なものではありません。すべての人にとって完璧なシークエンスなんて存在しないし、あれもこれも揃っているわけじゃない。

 

基本的にアライメントを細かく整えていくことはしないです。それを短所と捉えて、性格的に耐え難いなら、他のヨガをやればいい。耐え難い程ではないけど、やっぱりキッチリやりたい!という人は、アライメントに大らかなアシュタンガヨガ君の短所を受け入れられないということ。その短所を補って余りある長所を見ることができた人は、アシュタンガヨガ君とより仲良く親しくなれると思うのです。親友やパートナーのように。

 

だけどその短所だと感じられた部分を受け入れられなくて、他所の何かをアシュタンガヨガ君との付き合いに持ち込むと、その部分では満足できるかもしれませんが、アシュタンガヨガ君は本当の姿を見せてくれないんじゃないか、そんな風に思います。つまり長所も失われるというか。

 

それがいけないことだと言っているのではなくて、自分はアシュタンガヨガ君とどのように付き合いたいのか、だと思うのです。顔見知り程度なのか、知り合いなのか、友だちなのか、親友なのか、パートナーなのか。

 

そこをハッキリさせないと、自分の練習で何をすべきかが明確にならないんじゃないかなぁ、という話でした。

 

 

ではまた。

明日の夜のクラスから再開します。