理はないけど、ある。

2022/08/15 ブログ
鳥も食わない

ありがたいことに、スタジオの建物の裏には庭があります。結構広いやつが。13年前に来たときより木々が成長していて、庭というより小さな林って感じです(小林って言いたかっただけ)。

 

林なので鳥が来ます。今の時期は雀などの小鳥がオンコ(イチイ)の実を啄む姿をよく見ます。

 

チュンチュン、チュン、チュンチュンチュン

 

パクっ

 

モグモグ

 

ぺっ!

 

吐き出しやがった!グルメな鳥がいるもんだ。…と思っていたんですけど、いまオンコについて調べたら、実以外のすべて(特に種)は有毒だということが分かりました。吐き出すってことは、鳥は体で分かっているんですね。

 

ナヴァーサナでしんどい顔してたら、オンコの実を食べさせようっと(種ごと)。

 

 

 

 

アーサナで、体の使い方が理にかなってるものはあまりないように思います。体全体の動きとして、ここでこうしたら他の部位は連動してこう動くのが自然だよね、というのをとことんやらせてくれません。つまり超不自然。というのも、そういうアーサナのやり方を指導する某ヨガの影響が、現代のあらゆるヨガに浸透しているからです。

 

あ、なんかネガティブに聞こえる書き方だったかもしれない。不自然なのは良くないよね、ということではありません。おそらく、大人の体って偏りまくってると思うんです。無理なく自然でいて、それでいて偏りがない人ってかなり幼少期の子どもくらいじゃないですか?ちゃんと見たことないから知らんけど。

 

それで、その偏りまくった体を矯正するために、アーサナの不自然な動きで、刺激を与える部位を限局し、適切な方向の動きを与えようとしているわけです。あなたの自然な動きに任せていたら、ただやりやすいようにやるからです。やりやすいというのは、いつも動かしているところを動かし、動かさずにいる部位は相変わらず動かさない、いつもの偏りのまんま。そういうことです。ということはつまり、不自然な動きの矯正系のやり方のアーサナは、普段動かさない部位を動かすように促され、使ってなくて弱くなっているところを強化するように求められるんです。そんなものが簡単にできるわけないし、心地よいわけがない。程度にもよりますが、難しくきつく感じて当然です。

 

そのきついとか痛い(良い意味の)とかの不快感が少なくなってきたとしたら、その人にとって必要な強さや柔らかさが身についてきたということだと思います。

 

(※ 体の偏りを矯正するにはどうするのが良いか、という問題にはいろんな考えや回答があると思います。それは割愛します)

 

 

なので、ヨガにはとにかく心地よさを求める、心身をリラックスさせたいんだという人は、そういうヨガを探した方がいいです。ちなみにうちのビギナー向けの整えヨガは、矯正系6割、リラックス系4割くらいです(異論の声がすごく聞こえる気がする)。

 

 

じゃあやっぱり小さい林は、矯正系をお勧めしているのか、というとそういうわけでもありません。どっちでもいいんじゃない?という考えであり、そういう態度でいるつもりです。ただし、矯正系のアーサナのやり方を楽しいと思ってやっていた時期が長いので、「それが良いこと」みたいな自分への洗脳は抜けきっていないと思います。なので、そういう発言をしてしまうことはありますが、今の気持ちとしては、「そんなの気にせず気持ちよくやればいいんじゃない?」とも思っています。もちろん正しく動くもの良いです。

 

偏りなく動かせればそれは理想ですが、長く動かさずにいた関節は不動化しているものもあるし、その周りの筋肉は柔軟性が少なくなり、靭帯も硬くなっていることでしょう。ムキになって動かそうとすれば、それこそ無理がかかり、傷めたりすることもあります。

体の個性もすごいんです。ほんとに人それぞれ違うんです。得意なことも不得手なこともあって当然です。何年がんばろうとできないものはできない。

 

正しさは最低限は必要ですが(その最低限の尺度はヨガにより、先生によっても違います)、健康という意味の体で言えば、とにかく動かすことです。そんなに正しくなくても、アーサナで全身を気持ちよく動かせればそれでいいです。ただし、頻度は多ければ多い方がいいです。ラジオ体操みたいに毎日やれるともう最高。

 

 

健康とは別の、アーサナをする楽しみ、という観点で言えば、また別の話でもあると思います。

 

 

 

相変わらず長くて堅苦しいブログですね。生真面目な性格が現れています。大滝秀治さんの「お前の話はつまらん!」というあのCMの声が聞こえてきそうです。僕もあんま好きじゃないです、このつまらん性格が。

 

ではまた。