ただできることを。

2023/01/13 ブログ
散歩道

猫って器用ですね。自分の足跡を綺麗に辿って歩いているようです。多分この庭がここ最近のお気に入りの散歩コース。

 

 

 

1ヶ月半ぶりくらいに昨日のマイソールに来てくれた方がいました。来られなかったのは、手根管症候群(手のひらの手首側の神経の通り道が何らかの原因で狭まり、神経を圧迫し、痺れなどの症状を引き起こす)の症状が出てきて、1週間前に手術を受けたから。

 

1週間前?!

抜糸が済んでいない、傷跡も生々しい状態でのアシュタンガヨガ。そんなことが可能なのか?いや、そりゃ以前の理想的なやり方ではできないですよ。手首をマットに付けられないし、体重を乗せられないのですから。当然ダウンドッグすら難しい。だけど、やれることをやれるやり方でやるんです。シッティングでのヴィンヤサは省き、できないものはやらない。それでいいんです。その取り組み方、態度が素晴らしいと思って見ていました。

 

ひとつの呼吸でひとつの動作は、アシュタンガヨガのヴィンヤサの理想です。だけど、理想的でなければならないわけはない。久しぶりのスタジオでの練習を楽しむように、体が開いていくのを喜ぶように、こわばっていた身体を伸ばす心地よさを味わうように、時間をかけてじっくりじっくりヨガをする姿は、見ていてとても嬉しい気持ちにさせてくれました。

 

 

最近になって思うようになりました。ヨガが癒しになればいいなぁ、と。期待するわけではありませんが、結果的にそうなっていればいいなと思います。

 

僕はインスタでアーサナの写真を載せたりしません。魅せるようなアーサナはできないからです。先日話していたんです。やっぱり高度なアーサナができる人、アーサナを美しくできる人のところにアシュタンギーニは集まるよね、と。僕は札幌のアシュタンガヨガの狭い世界の中で、最前列にいたいとは思っていません。端っこの方でのんびりやっていたいです。どんな形であれ、その人にとってヨガが助けになり、癒しになるなら、全然理想的じゃなくていいし、正しくなくていいです。

 

今月から「アシュタンガヨガ ベーシック」というクラスをやっていますが、やってみて感じたのは、「良くない」でした。やっぱ好きじゃない、教え込むのは。余白が少なくなるのも嫌。アシュタンガに限らず、もうそういうヨガは好きじゃないみたいです。そういうのをやりたかった方、すみません。

 

 

のんびり、心地よく、自分のペースでヨガしようよ。形にこだわらず、必要な時がきたら適宜対処して。気持ちよい呼吸と共に。僕はそのための場を提供し、必要とあらば助けたり、アドバイスします。もうそれで充分。