沈澱
今朝の夢で死の病を宣告された小林です。「えー、そうなん?」と思いながら帰ってきて地下鉄から地上に出たときに見えた西の空がめちゃくちゃ綺麗で、そのときの感動した感覚までハッキリ覚えています。
えーリアル過ぎて嫌なんですけどー。健康診断行こうかと初めて思いました。
心は泥水のようだと思います。ちょっとしたことでいつも掻き乱されて、泥が舞い、視界は濁る。起きている間はずっと濁っているけど、少なくともヨガをしている間は、ちょっとだけクリアになります。もの凄く集中できているときは、マジでクリアになる感覚があります。クリア過ぎて笑いが込み上げてくるような感じ。集中できてんだかできてないんだか。
僕はエネルギーの流れみたいなものは分かりません。僕の感じているものはエネルギーとかではなくて、もっと粗雑な呼吸に伴った身体の動きや、意識の目が見渡している感じなのだと思う。その程度のことだけど、僕自身が感じていることはとてもクリアです。
アーサナの難易度は一切関係がありません。難しいことをすれば、より筋力や柔軟性はつくけど、集中には全く関係がない。より難しいことをしている中で集中できている方が、ヨガとしてのレベルが高いのではないか、などと昔は考えていましたが、凄いとは思うけれど、ただそれだけのことです。それを追い求めるのが楽しいからやるだけです。
マインドフルネス瞑想とか、もう何年も前から流行っていますよね。ヨガの伝統的なガチの瞑想とは違って、ライトな感覚でできます。何でもいいと思うんです。瞑想でもアーサナでも。自分の中の泥水がクリアになる時間を持てれば。そしてそのクリアなマインドを維持しやすい環境に身を置けたらベターなのかもしれませんね。
死を宣告された途端、空の綺麗さに感動するってドラマの見過ぎじゃない?
そういうものなのかな。