感受性を育てよう
何のヨガでもいいのですが、何人かの先生から同じヨガを教わることがあると思います。いつも見てくれている先生だけでなく、ワークショップや何かの特別な機会で見てもらうなど。
その利点として、普段の先生とは違った視点でのアドバイスをもらえることがあります。先生によって得意なことが違って、その得意分野での考えを聞けるのは、大きな利点だと思います。デメリットとしては、違うアドバイスを貰えること。諸刃の剣ですね。
先日もこう言っている方がいました。
「いつも見てくれていた先生はこうするといいよ、と言ってくれたけど、特別な機会で見てくれた先生は、そうじゃないよ、と言われた。どっちで練習したらいいと思いますか?」
と、第三者である僕が質問されたのです。僕の答えは「どっちでもいい」です。投げやりな気持ちからではなく、ほんとうにどっちもいいのです。いつも見てくれていた先生のは、あなたの身体だとこういうやり方にアレンジした方がいいよ、というアドバイスであり、もう一方は、そのアーサナはこうやるものだよ、というアドバイス。それはどちらも正しいでしょう。
僕の「どっちでもいい発言」に対して更に、「あなたならどちらが私にとって良いと思うか」と聞かれました。質問に質問で返して申し訳ないですが、答えは「どっちもやってみて、あなたはどう感じたんですか?」です。僕が大事にしたいのは、その人自身がどう感じているか。
何かのアーサナをやるということは、その目的や理由があります。「こうした方がいい」というアドバイスにも、その人なりの理由があるし、「こうしない方がいい」にも理由があります。僕は口頭でアドバイスをするとき、だいたいその理由を言います。聞かれたら答える準備があるし、それがあるということは、アドバイスするときには必ず理由と目的があるということです。
なので、もしアドバイスを受けて、「何でこうやった方がいいんやろう?」と理由や目的が分からなければ、聞いてみてもいいと思う。そして練習してみて、その理由や目的に適う感じがあるならそのアドバイスに従えばいいし、自分にフィットしてないと感じるなら、やらなければいいだけです(その時の自分には分からないだけで、後々とても大事なことであったと気づくこともあります)。
やってみてどう感じたのか?と聞かれて、答えられないなら、どっちだっていいんです。どっちでやっても一緒だから。感受性が乏しいままでやり方の正解を求めても、それは外見上のことに過ぎません。なにもあなたの身についていない。
形が大事ではないですが、その形を通して自分が何を感じるのかはとても大事だと思います。
がんばって。