引く線の基準
ここ2日ほど、スタジオの玄関にトラップが仕掛けられているんです。昨日は間一髪で避けられましたが、今朝はガッチリ顔面が絡まりました。こんなところに作らんといてー、蜘蛛の巣トラップ。
昨日、クラス前に話していました。清潔であることについて。清潔や清潔感の基準は人によって違うでしょう。テレビ番組でやっていたらしいんです。濡れたタオルにいる菌の数と、経過時間に伴うその数の激増ぶりについて。
布巾でテーブルを拭くのは、ただ菌を広げているだけだよ、というCMを見たことがある方も多くいらっしゃるでしょう。こういう清潔であるかどうか、ということに関して、いろんな考えと価値観がありますよね。
みんなそれぞれ線を引いている、と言えると思います。ここまではオッケー、ここから先はアウト、というような具合で。その線は一旦引いたらずっと変わらない、というものではなく、変動することもあるでしょう。以前は「無理」だったけど、「まぁオッケー」くらいに変わることはある。逆もまた然り。
この線の基準が違う人と、うまくやっていけるのでしょうか。どちらかが譲歩するか、お互いが譲歩するか。ただこの清潔というラインは結構強固じゃないですか?特に潔癖に近い人は譲歩できないし、逆にまったく無頓着な人も、清潔にしようとがんばれない(がんばっても続かない)。
そんなことを考えていたら、ヨガも一緒やなぁと思ったんです。ヨガのポーズをどこまで追求するのか。これが正しい。もっとこうした方がいい。突き詰め始めたら、それにはほとんど際限がありません。どこに線を引くのかは、個人によって、ヨガ講師によって、ヨガスタジオによって違うでしょう。
ヨガスタジオとしての線がある場合があり、ヨガ講師個人としての線があり、クラスに参加する人の線が、それぞれにある。お互いの線がある程度近いところにないと、心身ともにキツいですよね。もっと意識してやってくれよ、とか、そんなに要求されても…とか。
僕は昔はある程度の厳密さを求めていたのですが、今はそういうのはどうでも良いとは言わないまでもあまり気にしてない、というところに線を引くようになりました(昔の印象が抜けない方はいるかもしれませんが、ほんとにあまり気にしてないんです)。
アシュタンガヨガをやっていると、先の方でどんなアーサナがやってくるかを知っています。なので、もしそういうことをやりたいなら、今ここで身体の使い方を身につけておくと、後で苦労しないよ、くらいの意味合いで伝えることはあります。また、身体を痛めた人には、やり方に気をつけてもらうために言うべきことは言います。だけど、そこは目指してないんで、という人には、自分の決めた線に従ってやればいいと思うよ、という態度です。
もっと正しいことを知りたい、これでいいのかどうか不安である、という人がいたとしたら、僕には必要性は感じていなくても、望まれれば伝えることはできます。が、望まれなければ敢えて言うこともないので、そういうのに不満があるとしたら、自分の引いた線と近いところに線を引いている先生を探せばいいと思う。それがお互いのためです。
他の先生に習っている、習っていたことで、その先生から教わったやり方をやりたい人もいます。何らかの理由でその先生から教われなくて、場所を求めてうちに来るだけの人。その人の線が僕の線とはまったく合わない場合もある。その人がその線を大事にしたいんだな、こだわりなんだなと感じたら、僕には理解できないやり方でも、一切口も手も出さなくなりました。こだわりに口を出すと面倒なことになるのがよく分かったので。
引く線の位置に正解なんかありません。あると思わされている節はありますが、そんなものはない。どこに線を引くかの基準は、正しさなんかじゃなくて、おもしろいと感じる心や、おもしろそうと思える好奇心、自分がハッピーであると感じられるかどうか、だと思います。他人の引いた線に、アンハッピーな気持ちで付き合う必要なんかない。そう思います。