プロセスとしての所作

2023/07/31 ブログ
玄関から

スタジオの机の引き出しを整理していたら、昔の手帳が出てきました。

2018年の3月にこんなことが書かれていました。

 

 

「細かなことまでルール化されているということは、永平寺の生活においては、次に何をすべきか自分で考える必要がありません。ただひたすらプロセスとしての所作を繰り返すことでマインドフルネスが育まれ、悟りが得られるのです。」

 

 

著者や本の名前は書かれていなかったのですが、永平寺とあるので、禅の本であることは間違いなさそうです。どうしてメモっておいたのかは分かります。「アシュタンガと同じじゃん」ですよね。

 

アシュタンガの場合はアーサナの連続なので、そこに「できた・できない」が付き纏います。すると、それができるようになる楽しさに捉われるので、そちらが優先される。楽しいことをするのはいいと思うのですが、アシュタンガヨガの「細かなことまでルール化されている」ものを自分で勝手に変えてしまったり、無意識に変えてしまっていることに気づけない、または、その大事さが分からず適当にやっていると、それはもはや「プロセスとしての所作」ではなくなると思います。結果、マインドフルネスは育まれないのではないでしょうか。

 

 

堅苦しいですか?読んでいる本にこんなこと書いてあっても「おおっ!」と思わないですか?

 

僕はこういうのを「おもしろい」と感じるやつなので、ついつい「余計な呼吸や動作を入れるな」とか「決められたヴィンヤサで練習せぇ」とか言ってしまうのです。逆に言えば、こういうのをおもしろいと思わないなら、なんでアシュタンガやってるん?と僕は疑問に思います。アーサナを楽しむだけなら、他のヨガの方が気楽にやれますよ。

 

 

アシュタンガヨガを練習し続けていたら悟りが得られるかというと、多分それだけでは無理でしょう。だけど、マインドフルネスは育まれると思うんです(アシュタンガじゃなくても育まれますけど)。それはきっと、日々をより良いものにしてくれるんじゃないかなぁと思っています。

 

 

…なんとなく、昔もブログで同じ引用をしたような気がしてきた。