自己認識
僕らはヨガのアーサナを練習をしています。ポーズではありません。アーサナという言葉を知らない人のために便宜上ポーズと言うことはありますが、あくまでもヨガのアーサナです。
アーサナをしていると、「こうしよう。こうしたい」という気持ちが出てくると思います。意志を持って何かをしようとする。それは普通のことです。だけど、それより前にアーサナではやることがあります。現状はどうであるかという自己認識です。こっちの方がずっと大事です。自己認識のない意志ある行動は、ポーズだと思います。ポーズという言葉の認識は人それぞれかもしれませんが、僕のいうポーズは見た目だけのもの。
自分がどこにいるかが分からない状態で、地図で目指すところを決め、さぁ行こうと出かけても、それが無謀であることは誰の目にも明らかですよね。出かけて歩いたり車を運転したりという行動をしている分だけ、何かをしてる感はあるかもしれないけど、それはポーズです。本当に目指すなら、まずは自分がどこにいるかを知ることからです。それがあって初めて、適切な行動が取れる。
同じように、アーサナをこうやるとか、こうするとできる、みたいなテクニックは、自己認識があって初めて役に立ちます。
自己認識のない「こうしたい」行動の特徴の一つは、動作が速いです。速くても認識できるなら全然いいのですが、結構難しいです。整えヨガで「ここに気をつけながら脚を上げて」と言っているのに、パッと脚を上げてしまう人は、ほぼ100%気をつけていません。脚を上げることしか頭にないので、めちゃくちゃなポーズができあがる。「気をつけながら」とは「そこに意識を向けて感じながら」と同義です。僕の言う「呼吸とともに」というのは「その呼吸のペースに合わせて自分のことを認識しながら」という意味です。
今日の昼と夜のマイソールでみなさんの意見を聞いて、考えさせられることがありました。
意志を持って何かをする最初の行動は、自分を認識しようとすること。これは本人にやってもらうしかありません。だけど、その認識は間違えることがあるし、し忘れることもある。そのために声や手によるアジャストメントをおこないます。
僕の反省点は、やり続けなかったこと。必要なら何年でも同じことを言い続けるべきであったし、同じアジャストをやり続けるべきなのでしょう。いつかはできるかもしれない。その日が来るまでやり続けようと決めました。
がんばって。
僕もがんばります。