よい一日を。
UNIQLOで欲しいものがあって店内を探したけど見つからず、これはもう店員さんに聞くしかないと、近くにいた店員さんに声を掛けようとして、寸前で気づきました。「この人はお客さんだ」と。あぶないあぶない。危うく恥ずかしいことするところだった。で、近くにいた別の店員さんに「すみません、この商品はどこに…」と声を掛けたところ、微妙な間と薄いリアクションと共に「え…わたし店員じゃありません」との返答をいただきました。恥ずっ
あくまでも僕のことなんですけど、その日を心地よく始められそうな心身の状態になれるときの練習というのがあります。もちろんいろんな要素が複雑に絡み合ってその日の心身の状態があると思うので、一概には言えないんですけど。
軽い身体で、身体に痛みを残さず、ほどよい集中力と心地よい呼吸で、意識を今に保って、止まることなくフローできたときの練習。それがいい感じだと思っています。
こういう練習って、どう練習したかだけではなく、日々の過ごし方が大きく影響します。
僕はあまり「食った食ったー」みたいに満腹になるような食事はしなくなりました。そういう満足感ってほんの一瞬だし、あとはただただ膨満感で心地悪い上に、余分な肉がついて身体は重くなる。
寝つきの悪い僕は日々悪戦苦闘しているんですけど、充分な睡眠は心身を良い状態にしてくれる。いらない情報を貪るようしてスマホをダラダラ見ていると、あっという間に時間は過ぎていく。
身体に痛みがあるときは、アーサナの完成形にはこだわらない。ねちっこく深追いしたりすると、練習後まで痛みが残る。痛みに耐えながらがんばって理想的なアーサナができたとしても、それは満腹になるまで食べた食事みたいなもので、気分が良いのはその時だけです。若い頃はそれでも良かったのですが、今はもう完成形のためのヨガはしなくなりました。
気になることがあっても、練習を止めない。止めて考えたりすると、一気に練習の質が下がる。一人で練習していると、たまにやっちゃうんです。
良い一日を過ごすには、まずは自分を整えることだと思います。人とより良く接するためには自分が良い状態でないと間違えた選択をしてしまう。相手も自分も傷つけていてはハッピーな一日は望めません。人間ができていない僕は日々痛感しています。
ただの正論ですね。
UNIQLOではメンズ売り場で服を丁寧に畳んで棚に戻しているスマホ斜めがけの女性はだいたい店員さんに見えてしまうので、声をかけるときは気をつけようと思う。