my way
近くのスーパーの駐輪場に急に現れたコスモス。とその奥のワシの愛車。
改めて書くほどのもんでもないですが、大抵のことはどっちでもいいな、と思います。いや、思うようになりました。どっちでもいいと書くと、A or Bの二択になりますが、場合によってはどれでもいい、とさえ思います。
AにはAのメリットもデメリットもあり、BにはBのメリットもデメリットもあると思うんです。それをメリットと感じるかデメリットと感じるかは人それぞれです。
Aがいいよと勧められても、その人がBの方が良いと思うならそちらにすればいい。Bにはこんなデメリットがあるよ、と言われたところで、それがその人にはデメリットにならないかもしれないし、例えデメリットになったとしても、それを受け入れてでもBをやりたいと感じたならそれでいいと思う。
何を言っているのかと言えば、僕はヨガ屋なのでヨガの取り組み方を話してます。ヨガをどうやろうとその人の自由だし、ましてやアーサナをどうやるかなんて、言わずもがな。
こんな感じですよ、と教えますが、そうじゃなくてもいいんです。たまに細かく言うことがありますが、言っててこんなのどうでもいいよな、と思い直します。子どもに字の書き順を教えるように、ヨガ初心者にはまずは基本形を教えます。まずはそれでやってみて、ある程度身についてきたら、自由にやったらいいんです。やりたければ。
呼吸と共に動くのが僕はいいと思いますが、そうじゃなくてもいい。心地よい呼吸でゆっくりやっても、力強い呼吸で速くやっても、どっちでもいい。目線は決められた場所に落ち着かせた方がいいと思いますが、キョロキョロしたい人はすればいい。集中したければすればいいし、考え事しながらやりたければそれでもいい。自分のことなんだから自分で決めてちょーだい。
誰かが示したことに従っていれば良い方向に進む。そんなわけないですよね。自分で自分のゴールに向かって試行錯誤しないと。その道中で迷ったら人に聞けばいいじゃないですか。その人の意見を参考にするも良し、聞き入れないも良し。僕のでも、ネットのでも。
いくら正しい(っぽい)ことでも押し付けられるのは嫌でしょ。自分がおもしろそう、楽しいと思えることをやりたいでしょ。それがヨガのゴールと一致しなくても、まずはそれをやればいいんじゃないでしょうか。いつかそれがヨガのゴールと同じになるかもしれない。ならなくてもいいんだけど。
結局なにが言いたいかというと、こうすべきとか、こうしなければならないという考えから自由になった方がいいと思います、ってことです。
マットの端っこが丸まってても、本人が気にならないならそれでいいですよね。