それなり

2023/10/13 ブログ
ルールルルルル

ルールルルルル

ルールルルルル

ルルレモン

 

 

まったく意味の分からない書き出しから始まりました。スタジオでは珍しいlululemonのマットだったので写真を撮らせてもらいました。使い心地は良いみたいですよ。ペラペラの折りたたみマットから2枚目に選んだのがlululemon。ご夫婦でお揃いのlululemon。いいですね。

ちなみに、このストラップもlululemonです。洒落てる。

 

 

 

最近ふと思いました。ぼく、ヘラヘラした奴になってるなと。他人から見たらどうか分からないんですけど、自覚としてはヘラヘラしたヤロウです。以前はヘラヘラっていうより、ギラギラした目で見てました。

 

その変化には理由があって、自分なりの気づきがあったんです。それは「〜なり」だな、ということ。それ以上にはなれないし、それ以下にもならない。それが分からなかった頃の僕は、「〜なり」以上のことをギラギラした目つきで求めていたし、教え込もうとしていました。

 

週に6日何年もアシュタンガヨガを練習していた僕は、週に一度アシュタンガヨガをする人に、僕の思う基本をやらせようとしていました。身体的なことではありません。そういうことじゃなくて。だけど、週に一度の人のヨガは、それなりなんですよね。二度であっても同じ。悪い意味で言っていませんよ。言葉の通りで、週に一度や二度なりのヨガになる。他のことでもそうです。

 

アーサナのやり方を覚えない人のヨガは、それなりのヨガになる。

ドリシティを確固たるものにしている人のヨガは、それなりのヨガになる。

アーサナの順番やヴィンヤサを覚えない人のヨガは、それなりのヨガになる。

呼吸を意識的に行なっている人のヨガは、それなりのヨガになる。

考えごとをしながらのヨガは、それなりのヨガになる。

スタジオでだけのヨガは、それなりのヨガになる。

運動としてやる人のヨガは、それなりの運動になる。

 

当たり前のことですよね。週に一度ヨガをする人が、週に6日ヨガをする人と同じ結果を求めれば、ケガをします。

既に身体を痛めている人が、調子良いときと同じくらいの深さのアーサナを求めたら、悪化することもあります。

疲れているときに元気なときと同じがんばりじゃなくて、疲れているときなりのヨガでいいと思います。

 

以下を求める人はいないように思いますけど、大抵は求め過ぎ、欲しがり過ぎなんじゃないかと思います。やったなりの結果を受け入れられるようにならないと。

 

それなりでいいんだと思います。やったらやったなりの。やらなかったらやらなかったなりの。僕は熱血教師じゃありません。熱血教師はそれなりを引き上げようとするでしょう。ある意味ではギラついてた頃の僕はそうだったのかもしれない。そういうのが必要な時期はあるのでしょう。だけどそれを除けば、お互いに不幸になるような気がします。

 

今はそんな感じじゃなくなりました。やりたいことのサポートはできる限りしますけど、それ以上のことを求めはしません。やれそうな人に提案くらいはしますけど、やろうがやるまいが、それはどっちでもいいです。

 

たまに「同じことを何度も言わせないでください」という周りが軽く引くような強めのことを言いますが、それは「この人はやれる人だ」と判断したときだけです。優しく何度か言ってもやらない人には強めに言うことがあるんですけど、言わない人にはもう言いませんから。

 

 

というわけで、自分なりのヨガをしてください。気持ちよく、健康的に、欲張らずに。求めてくれたら喜んでアドバイスもサポートもします。

 

基本ヘラヘラ、時々ギラギラ。

そんな感じで。