修行かホビーか。
テレビ番組の「世界遺産」で、オーストラリアの森を紹介していました。その森に、顔が黒くて木に登れるめっちゃかわいいカンガルーが住んでいるのですが、その名も『カオグロキノボリカンガルー』。そのままやん。
僕のやってきたアシュタンガヨガの練習は修行的と言って差し支えないように思います。特に師匠と仰ぐ方はいませんが、長年練習を続けてこられた方々がアドバイスしてくれたことは、何も異論を挟まず、「はい、そのようにやります」とやってきたし、気分次第で練習をやったりやらなかったりしない(雪かきに追われてできないことはある)。
既にあるものを自分の気持ちで変えたりせず、余分な呼吸や動作を極力挟まず、自分をシステムや決まりごとに当てはめられるよう、如何様にも変化させ柔軟に対応できるようにやってきたつもりです。レッドクラスのペースが速かろうと、ゆっくりであろうと、普段の自分のペースと違っていようと言われたカウントに従うし、ナヴァーサナやウトゥプルティヒのカウントがどんだけ長かろうと、そんなことにいちいち反応しないよう、心乱さずただそれに自分を合わせられるように。
だけどこれは、修行的だと思うんです。ホビー的ではないかもしれない。身体のケアをするため、とは多分言い難い。
もう少し趣味的だったり、心身のケアとしてアシュタンガヨガをするなら、自分をアシュタンガヨガにはめ込むようなやり方よりも、アシュタンガヨガを自分に合わせていいと思います。アーサナの準備に呼吸を余分に入れてもいいだろうし、アーサナの形も自分に合わせて調整をどんどんすればいいと思う。普通は練習前にストレッチをしないものですが、やったっていいじゃない。今日は調子がイマイチやな、と思ったら途中で切り上げてもいい。自分に無理強いすることはないと思います。
何のためにそれをやっているのか。ちゃんと自問して、それに合ったやり方をすればいい。他人がどうであろうが。
そんな風に考えて日々ヘラヘラするドウナガチャリノリコバヤーシでした。