純粋さ
地方都市札幌のさらに地方の東区のヨガスタジオのクラスに 、Brooklyn, New Yorkからの旅行者ご夫妻(奥さまは日本人)が参加してくれました。旦那さんの股の位置が高過ぎて笑いました。言葉が分からなくても普段通りできるのがアシュタンガヨガの良いところです。
過去に何度か紹介している漫画『バガボンド』の僕個人的名シーン。細かい設定はうろ覚えです。
若かりし頃の佐々木小次郎を修業させるために、小次郎を一人ヤバい夜の山に残していく師匠みたいな存在の伊藤一刀斎(天下無双級の剣豪です)。
その山がどうヤバいかと言うと。
関ヶ原の戦いだか何だかの戦があって、西軍が敗走している状況なんです。なので、西軍にとって知らない奴は敵。
東軍は敗走する西軍を追ってます。なので、こちらも知らない奴は敵。
農民の落武者狩りが闇に紛れてたくさん潜んでいます。家を焼かれたり、家族を殺されたりしています。武士を襲って、恨みを晴らしたり、金品になるモノを奪おうとしています。農民以外は敵。
小次郎にとっては、自分以外は全員敵という最悪の状況。この状況で生き延びて山を下りてこい、というのが一刀斎の与えた修業。もし敵にやられて死んだとしたら、それは小次郎がその程度のものだった、というだけ。
ちなみにバガボンドでは小次郎は聾唖者という設定なので、一刀斎の目論見など理解できていません。ただ危険な山に一人置いていかれただけ。
山での戦いの話は置いといて。結論を言うと、小次郎は無事に山を下りられたのです。下りて傷だらけで疲労困憊の状態で休んでいると、そこに一刀斎が現れます。小次郎は一刀斎を見るなり、そんな危険極まりない状況に置いていかれた怒りで獣のように襲いかかります。
一刀斎はそれを見て、感心します。怒りの衝動で襲いかかろうと立ち上がった小次郎(獣のような表情)は、次の瞬間には、もう怒りをはるか後ろに置き去りにして、純粋な瞳で一刀斎を「斬る」ことに全集中しているんです。
怒りという感情は動き出すまでの一時のエネルギーとして使っただけで、今から行おうとしている行為(一刀斎を斬る)には、怒りや恨みなどの感情は一切込められていません。もし怒りに任せたかたい動作で斬りかかっていたら、瞬殺されていたでしょう。
その後どうなったかは、漫画で読んでください。ちなみに、一刀斎も斬りかかってくる小次郎のことを一切恨まないし、何だったら喜んでる。一刀斎もまた純粋に強くなりたいだけの人で、強すぎるが故に好敵手に会うことがなく、小次郎と自分の生死を脅かすくらいの仕合をしたいと願ってこんなことをやっているのです。
バガボンドはおそろしくおもしろく、深い。
行為に感情を込めない。想いを乗せない。純粋に行為に専念する。願望を身体に押し付けるのではなく、行為と観察。アーサナの練習ってそういうことだと思っています。
昨夜カウントするとき、
threeのthは舌を噛みました。
fourのfは下唇を噛みました。
fiveのfとvも下唇を噛みました。
がんばってみたけどたぶん伝わってない。
ジャパニーズイングリッシュ!