いろいろ書く

2024/06/05 ブログ
空と雲

自宅の窓から空と雲を眺めるのが好きです。のんびり歩いたり、ダラダラ自転車を漕ぐのも好きです。たぶんそういうペースで見えるものや感じられることが好きなんだと思います。

 

 

 

今朝のクラスで、「左手は床に下ろして」と言ったら、あらぬ方向から聞き慣れない音と共に「はい」と声が聞こえました。え?と声のした方を見ると、僕のiPhoneが「さぁ何なりと仰ってください」という感じで待機してました。

どゆこと??

 

 

 

今月から「整えヨガ」の構成を変えたら、「アシュタンガフロー①」として予定していた内容と割と近い感じになってしまったので、アシュタンガフローは①と②に分けるのはやめて、1つにしました。

 

 

 

ヨガを始めてから、新たなアクティビティにチャレンジする人や、以前やってたけど止めていたものを再開させた、という話を聞くことがあります。凄くいいですね。ヨガって種類にもよるけど穏やかな運動だから、運動に苦手意識を持っていた人でも始められるのがいい。そこで思ってたより身体が動くぞ、って自信が持てたり、心境の変化があると、他のこともできるかもしれない、って可能性を感じられる。

ヨガ、いいぞー。

 

 

 

昔買って一読して、久しぶりに読んだ本に、皆が知っておくべきことが書いてありました。

 

「身体を伸ばし、その状態を保っているときには、目にも気をつけなければならない。目の緊張も、やはり脳に影響を与えるからだ。目が動かずに落ち着いていれば、脳も平静で穏やかになる。脳がリラックスをして、初めて何かを学ぶことができる。(中略)

 

通常の視界、つまりこめかみの辺りから前方へと目を向けるとき、脳の前部では分析が行われている。一方、こめかみの後方、耳のあたりから気づきの目を広げていくときには、脳の後部が活動し統合を行っている。脳の前部の働きは、鋭い洞察力で分析的に判断することであり、後部の働きは、全体的に判断し再構築することである。(中略)

 

アサナにおいて、ある動きが脳の前部だけを通して行われた場合は、脳の後部による反応を遮断していることになる。それぞれのアサナの形には、知性の層(ヴィニヤーナマヤ・コシャ)を反映させる必要があり、それによって、もう一度調整を行い、身体の正しい位置関係を確認することができる。脳の前部を使って機械的にアサナを行っている限り、身体の表面でしか動きを感じることができない。そこには内的な感覚はなく、内なる光が灯ることもない。」

(「アイアンガー 心のヨガ」より抜粋)

 

 

 

 

インスタを見ていたら、短い動画がありました。登場人物は3人です。

前を走っていた車のドライバー:A

後ろにいたタクシードライバー:B

タクシーの客:C

 

Aが急ブレーキをかけ、タクシーは危うく衝突しそうになります。AはBに向かってキレて文句を言い、Bはにこやかに対応している、それを見ていた客C、という状況。

 

A:コラァ!お前どこ見てんだよ!運転もできねぇのか、バカやろう!

 

B:笑顔で対応する

 

C:なんであいつにいい顔してるの?あいつが急ブレーキをかけたせいで俺らが病院に運ばれるところだったんだよ。

 

B:君に一つ教えてやるぜ。人間はゴミ収集車みたいなものだ。

 

C:えっ、どういうこと?

 

B:人間は生きているうちに、失望、不満と怒りがゴミのようにどんどん溜まっていく。ゴミがいっぱいになったら、捨てる場所を探さなきゃ。時に押しつけられることもあるさ。そういう人を相手にする必要はないぜ。彼らに手を振って、笑顔を保って、幸運を祈ってあげた後、前に進み続けるんだ。尊重してくれる人を大切にして、そうじゃない人に幸運を祈ろう。

 

 

ゴミを溜めないような生き方ができれば最高でしょうけど、なかなかね。溜めてしまったとき、自分なりの良い捨て方が見つかるといいですね。誰かに押しつけないように。

そして、もし誰かに理不尽に押しつけられたとき、このタクシードライバーみたいな対応ができれば、そこで負の連鎖を一旦止められるのかも。

 

とは言え、よっぽど心の修練を積んでいる人でもない限り、そう簡単にできることではないですよね。自分の中にゆとりがないと難しいだろうな、と僕は思います。まずはちょっとしたことから、やれることからやろうと思います。しっかり睡眠時間を確保するとか。適切なヨガをするとか。そのために何をした方がよいか、しない方がいいか。そういうことを考えて実行するのも大人の嗜みかと。

 

 

 

 

もう6月ぜよ。

ストーブ使いたくないー。