結びつく
5時前に太陽はこんなにも高く昇っています。
休みの日の朝は早起きが苦にならないんだよなぁ。
難しいんだろうなぁと思って最近はもう言わないのですが、太陽礼拝を呼吸と共にできると、すごーくいいです。
なんとなく思うのは、僕の言う「呼吸と共に太陽礼拝」を、みなさんはルールや決まりごとみたいに捉えているのではないかと。決まりごととして、吸いながら手を挙げて親指を見て、吐きながら前屈をする、みたいに。
そうではありませんよ、決まりごとだからじゃないです。そうした方がいろいろといいからです。
息を吸うことが、その動作を促すから。
息を吐くことも、その動作を促すから。
その動作が、より深く長く息を吸わせてくれるから。
その動作が、より深く長く息を吐かせてくれるから。
呼吸と動作は相互作用を与える関係です。もしそうでなければ、ただの決まりごとであれば、昔からこのように伝えられてこないでしょ。今とは真逆に、吐きながら手を挙げてもいいし、吸いながら前屈をしてもいい。
呼吸と動作がバラバラになりやすい人は、実際にそうなってしまっています。チャトランガで吐き終えていないのに、アップドッグの動作に入ったり。呼吸を止めたままアップドッグからダウンドッグへと移行し、その形になってから、ぷはーっと吐いたり。
そうなるのは、決まりごとを頭で覚えてやろうとしているからではないかと僕は思います。そうではなくて、もっと感じてみてはどうでしょう。どう身体をコントロールしたらアーサナが深まるか、ばかり考えないで、どう呼吸をしたら、アーサナが深まるか。また、どう動いたら呼吸を深められるのか。
あと、もう一つ。いかにしてダウンドッグを下半身でおこなうか。お決まりのアジャストがあるでしょ?骨盤をぐいーっと押されるやつ。あの力の方向性を、自前の力で作り出そうとします。上半身はもちろんですが、下半身をしっかり使って。そうすると、嫌でも両脚・下腹部は引き締まります。この下腹部の感覚を残したままにしていられたら、呼吸と身体はより良い関係を結んで太陽礼拝をおこなえる。僕はそう感じています。
その良い関係を結べた状態で太陽礼拝Aを5回、Bを3回もやったら、スタンディングに入る頃には、呼吸もバンダもばっちり準備万端になっていることでしょう。
毎回の呼吸を最後まで見届けているか。今のその呼吸を見届ける前に、次の動作のことに意識が向かっていないか。
その動作1つを終わりまで見届けているか。その動作に呼吸はついてきますよ。
呼吸が身体をリードしているのか、動作が呼吸を導いているのか、分からなくなるくらいまで親密に結びついたら、最高の太陽礼拝になるんじゃないかなぁ。
ぼーっとしてる余裕なんてないですよ。
今に意識を。