感じる
庭からサッカーボールを持ってきて、キレイに拭きました。
蹴る、止める、また蹴る。それをただ無心に繰り返すだけなのに、なんか楽しい。
今日のやさしいヨガのレッスンが終わったとき、参加してくれた方の1人が、こんなようなことを言っていたんです。
「おもしろいんですけど、ヨガしたあとに蕎麦を食べると、香りが強く感じられるんです」
すごくいいと思いました。香りを強く感じられるようになる機序は分かりませんが、単純に考えれば、感じようとする意識が無意識のうちにアップしているのかなぁ。
最近、ヨガをもっとシンプルにやりたいなぁと思っていたんです。自分がするヨガも、レッスンでするヨガも。今になって、ちょっとテクニカル過ぎたなぁと思っていたところで。
やっぱり元整体師としての気持ちが強く出過ぎて、ついつい言葉が多くなってしまう。身体を良くしたい。アーサナで身体を痛めて欲しくない。そんな気持ちからの、言葉です。
だけど、そういうのも最低限でいいんだと思います。まずはだいたいでいいからやってみて、そこで何かを感じて欲しい。嫌な感じがあったら、そこでそれに対処する。予防することは大事だけど、先回りし過ぎたくはない。起こったことに対処する力をこそ、養って欲しい。だからまずは完璧なアーサナを目指すんじゃなくて、だいたいでいいからやって、感じて、必要があれば対処する。対処の仕方が分からなかったときのために僕がいますから。
頭で考えていることや願望を身体に押し付けていると、感受性は弱まると思う。無視されるわけですから。だけど、変化を求める気持ちが強いと、やっちゃうんですよ。願望の押し付け。
感じたことをただ受け取る。そうやっておこなったアーサナの結果やってくるもの、或いはやってこないものを受け入れる。そして対処する。そういうヨガができればいいんだけど、まぁみんな向上心強過ぎますよね。自分を含めて。
感受性が高まれば、カッコつけた言い方をすれば、自分の世界の彩りが増すのだと思います。蕎麦の香りを楽しめるように。そういうことの方が、結果的には幸せなんじゃないかなぁ。
知らんけど。