カラムーチョにコーラ

2024/12/30 ブログ
壁に投影

今年最後のクラスを終えて、動物病院の待合室でこれを書いています。今年最後のブログも長いぞー。

 

 

僕は糸井重里さんからとても多くのことを勝手に教わっています。いつだったか忘れましたが、コラムでこんなことを書かれていました(全文ではなく多分抜粋)。

 

 

『「趣味がいい」というのは、ひとつの衰弱ではないかと、とても直感的にですが、ある時期から、ぼくは思うようになったのです。

 

寓話のように語りましょうか。長い間、料理人をやってきた名人達人と呼ばれるような人がいたとして、その人もやがては年を取ります。年を取ったら、たとえば脂っこいものを苦手になります。求める塩分も少なくなって薄味になっていくでしょう。そして、昔からのご贔屓さんも年を取りますから、「淡くて深い味」のおいしさを、よろこびます。作り手も、受け手も、まことに趣味のいい料理を、理解し合って認め合って食事をたのしむことでしょう。やがて、その店には老人ばかりが集まるようになります。そして、このごろの世の中の趣味の悪さを嘆き、ほんとうのいいものをわからない社会を悲しみます。そういう場があるのは、まったくかまわないのですが。

 

趣味だとかセンスだとかは価値のひとつではありますが、あくまでも価値のひとつなのだと、ぼくは思います』

 

 

 

たかだか15年しか経っていないヨガスタジオです(決して名人でも達人でもないと自覚しています)が、ここで書かれていることの一部にギクっとします。僕自身、価値観として昔ほどの濃い味を求めなくなっているのです、ヨガに。

 

それはよく言えば余分なものが削ぎ落とされてきた、と言えますが、別の意味では衰退であるとも言えるかもしれない。

 

ThreadsやInstagramでヨガインストラクターが書いているものを読んでも、「ふーん」としか思わないし、身体のことをいろいろ書いてあるものを読んでも、興味を持てなくなってきている。ちょっと危険だなぁ。

 

決して、糸井さんが書いているような「このごろの世の中(ヨガ)の趣味の悪さを嘆き、ほんとうのいいものをわからない社会を悲しみます」ということはありません。趣味が悪いだなんて思わないし、嘆いてもいません。ただ、惹かれなくなってきているだけ。

 

ヨガを始めたばかりの人や、今までのクラスを良いと思ってきてくれている方々には、なるべく薄味になり過ぎないように努めてはいますが、もし気づかぬうちに薄すぎる味付けになっていたら、遠慮なく教えてください。マズいぞ!と。

味が落ちたら大抵は告げることなく去っていくのでしょうけど。

 

アシュタンガヨガを練習している人たちは、毎回同じことを繰り返すので、他のヨガと比べると、やっていることに対する成熟が早いと思うのです。それは糸井さんの言う「年をとる」ということに似ているように思います。「淡くて深い味」を良くも悪くもおいしいと思い過ぎているかもなぁ。

 

 

だからどうしたってことはないし、良いとか悪いとかいう話でもないんですけど、年末にちょっと自分を振り返ってみるのもいいのではないかと思い、引用させていただきました。

 

たまにはカラムーチョにコーラ!みたいな刺激を入れてみるのも良いかも、ですよ。

 

 

 

今年もありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。